【震災の記憶】東日本大震災・被災地の様子 2012.6【宮城県石巻市門脇・南浜】

東日本大震災
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東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)の発生から10年以上の月日が経ちました。

未曽有宇の大震災として、記憶に新しいこの地震ですが、月日と共に当時の写真や映像は減り、当時を語る人達も少なくなってきている現実もあります。

東日本大震災以降も、日本各地で大きな地震がたびたび起きており大きな地震は、いつ、どこで起きてもおかしくありません。

 

大きな地震が起きると、復興には大変長い時間がかかります。

それは想像しているよりも、遥かに長く遅い。

 

今回紹介するのは、東日本大震災が起きて1年3ケ月後の被災地の様子です。

ご覧ください。

  




 

宮城県石巻市門脇・南浜

宮城県石巻市は仙台市に次いで第二位の人口を擁する自治体です。

宮城県の北東部に位置し、農業、水産業およびそれに伴う食品製造業が盛んで、アートの街、マンガの街としても知られています。

 

市の南部に位置する門脇町、南浜町は太平洋に面した平地であったため、津波による深刻な被害を受けました。

 

 

撮影は2012年6月。

地震から1年3ケ月後の様子です。

 

 

石巻市南浜町

石巻駅前の市街地を抜け、坂道を下ると一面に荒れ地が広がります。

撮影場所は南浜町。

奥に見える白い建物は旧門脇小学校です。

  

 

石巻市門脇小学校付近

門脇小学校は津波火災により大きな被害を受けました。

その痛々しい姿は1年3カ月経っても、当時のまま残っていました。 

 

 

 

撮影した日は平日でしたので高等学校の生徒が通学の為に歩いていました。

震災後の日常がそこにあります。

 

なお門脇小学校は現在、震災遺構、および展示館として残されていますので気になった方は是非。 

石巻市震災遺構・門脇小学校

 

 

門脇小学校から海側の光景。

そこにあった街はそのほとんどが流されてしまいました。 

 

 




 

石巻市南浜町

南浜町には住宅街がありましたが、その多くは流されていました。

写真は1階部分がビルトインガレージだったと思われる建物。

上屋が無くなっています。

 

 

建築途中であったと想像される建物。

  

 

津波の被害にあった自動車が、1カ所に集められ積みあげられていました。

  

 

 

 

皆サマお馴染みのこの建物も柱だけになっていました。

 

 

石巻市立病院と薬局。

薬局は地盤の沈下により崩れてしまっています。

 

 

いたるところにある瓦礫の集積所。

集積所というよりは「場所が決まらないからとりあえず積んだだけ」といった印象でした。

 

 

石巻市南浜町より川口町を望む

 

旧北上川沿いに集められた震災瓦礫。

今回見た中では最も規模が大きかったもので、河口から数kmに渡って積み上げられていたと記憶しています。

バックホーの高さからもその量が分かると思います。

 

 

石巻市門脇町

車で走る際に注意したいのが、このような場所。

まだ、撤去できていない瓦礫が、いたるところで道路にはみ出しています。

 

こういった細かい瓦礫には釘や金属片など鋭利なものも混じっていました。

踏んでしまうとタイヤがパンクする可能性があるので注意が必要です。

 

 

 

石巻市黒沢配管工業跡地

「がんばろう石巻」は「津波に負けたくない」という思いで、水道工事店を営む方が店舗跡地を利用して建てたものです。

震災の1ケ月後に設置されて以降、復興のシンボルとして今日まで引き継がれています。

 

現在はみやぎ東日本大震災津波伝承館の隣に移設されていますので気になる方は是非。

みやぎ東日本大震災津波伝承館

 

 

 

石巻市に限らず、所々にこういった感謝の看板が立っていました。

この1年3ヵ月、多くの善意が届いたことが想像できます。

 

 




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