東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)の発生から10年以上の月日が経ちました。
未曽有宇の大震災として、記憶に新しいこの地震ですが、月日と共に当時の写真や映像は減り、当時を語る人達も少なくなってきている現実もあります。
東日本大震災以降も、日本各地で大きな地震がたびたび起きており大きな地震は、いつ、どこで起きてもおかしくありません。
大きな地震が起きると、復興には大変長い時間がかかります。
それは想像しているよりも、遥かに長く遅い。
今回紹介するのは、東日本大震災が起きて1年3ケ月後の被災地の様子です。
ご覧ください。
宮城県牡鹿郡女川町
宮城県牡鹿郡女川町は石巻市の東隣りに位置する自然豊かな町です。
80%以上を山林が占める高低差と、リアス式海岸特有の地形により、津波による被害が大きくなりました。
撮影は2012年6月。
地震から1年3ケ月後の様子です。
女川町・女川コンテナ村
国道398号線を石巻市から女川町中心部に向けて走ると、左側に見える「コンテナ村」の看板(?)
ちょっと寄り道します。
東日本大震災の被害により営業が出来なくなった商店が仮設の建物で商売をするいわゆる”仮設商店街”がいくつもありました。
「女川コンテナ村」もそのひとつ。
ここでは食料品店、衣料品店、飲食店、電気店など8店舗が営業していました。
女川町中心部
女川町は津波による甚大な被害を受けて壊滅状態になり、1年3ヵ月たった時点では解体、撤去が進んでいました。
女川町医療センター(旧女川町立病院)からの眺め
高台の上にあった女川町立病院は1階天井付近まで浸水しましたが、建物の流出は逃れることができました。
現在は女川町医療センターと名前を変えて診療が続けられていますが、病院入口の柱には津波が到達した高さが残されています。
女川町に限らず、官公庁や企業による視察も何カ所かで見られました。
江島共済会館
女川町は非常に高い津波が観測され、それによるビルの横倒しが発生しました。
写真は”江島共済会館”
コンクリートパイルが引き抜かれ、ビルが横倒しになっています。
女川サプリメントビル
女川サプリメントビルも津波で横倒しになりました。
女川交番
津波で横倒しになった女川交番。
先ほどの建物より小ぶりですが、杭の引き抜きが行われたことが分かります。
現在は震災遺構として保存され、外観を見ることが可能です。
女川港
女川港は岸壁が破壊され、一部海水で浸食されていました。
国道398号線・女川町~石巻市雄勝
宮城県内の海岸沿い南北に走る国道398号線。
蛇行、起伏が激しいこの道は、多くの場所で崩れ、対面通行や通行止めとなっていました。
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