〇〇信者
たまにいますね。
「私は〇〇信者」という人。
個人的にはこの段階でサヨナラしたくなります。
ちょっとイタイ?
でも本人は気が付いていない?
好きなのと信者は違うのです。
ここは使い分けたいところ。
ただ、自信を「信者」と呼ぶ人には特徴があると考えます。
理解者であろうとすること
〇〇信者に共通するのは、最後まで理解者であろうとすることです。
対象者がどれだけ悪いことをしても、間違った意見を言っても、それに反する状況を想像し理解者であろうとします。
これはとても危険なことです。
もし、対象者が犯罪を犯したらどうしますか?
あなたも犯罪者になる可能性が高いです。
対象者が突然消えたらどうしますか?
一人取り残されるのはあなたです。
ですから理解者であろうとするのはほどほどにした方が良いと考えます。
尊敬する人はいない
たまに「尊敬する人は?」という質問を受けますが、真面目に答えたことがありません。
どんな偉人や有名人にも良いところと悪いところがあるから答えられないのです。
つまり、どんな偉人にも「尊敬できるところ」と「尊敬できないところ」があるのです。
これは偉人でなくても同じです。
親や会社の上司、取引先、趣味の仲間・・・誰にでも当てはまります。
ですから「尊敬する人は?」の答えは毎回違ったりするのです。
あなたが今、尊敬していると言える人は本当に尊敬に値する人ですか?
正直なところはどうなの?
たまに「〇〇信者を名乗ることが良いことだ」というような人を見かけますが、まわりから見るとちょっとイタイ人に見えてしまいます。
いわゆる〇〇信者であることでメリットを感じる人です。
ことわざでいえば、虎の威を借る狐です。
名前から入るタイプはこういう人が多いですね。
実際はそれほど好きでもないのに信者を名乗るからすぐにボロが出ます。
私は「名前は後からついてくる」と思っています。
人間、地味に長く一つのことを続けていれば、ある日突然突き抜けたりするものです。
ですから、わりと自分に正直に生きています。
今まで、いろんな人を見てきましたが、堂々と「〇〇信者」を名乗る人は何でも長続きしないですね。
信者になることのメリットなんてありません。
今すぐやめましょう。
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