【震災の記憶】東日本大震災・被災地の様子 2012.6【宮城県本吉郡南三陸町】

東日本大震災
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東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)の発生から10年以上の月日が経ちました。

未曽有宇の大震災として、記憶に新しいこの地震ですが、月日と共に当時の写真や映像は減り、当時を語る人達も少なくなってきている現実もあります。

東日本大震災以降も、日本各地で大きな地震がたびたび起きており大きな地震は、いつ、どこで起きてもおかしくありません。

 

大きな地震が起きると、復興には大変長い時間がかかります。

それは想像しているよりも、遥かに長く遅い。

 

今回紹介するのは、東日本大震災が起きて1年3ケ月後の被災地の様子です。

ご覧ください。

  




 

宮城県本吉郡南三陸町

宮城県本吉郡南三陸町は宮城県の北東部に位置する町です。

面積の70%以上を山林が占め、いくつか通る川を中心に若干の平地が広がるといった三陸特有の地形をしています。

  

 

撮影は2012年6月。

地震から1年3ケ月後の様子です。

 

 

水尻川にかかる仮設橋

街の中心部へとつながる橋。

仮設で架けられていたため、架橋部分は大きく盛り上がっています。

 

正面に見えるのは南三陸警察署の建物。

 

南三陸警察署

南三陸町に押し寄せた津波は最大23.9mとされています。

想像を絶する高い津波は多くの建物を飲み込み、海岸から近かった南三陸警察署も被災しました。

  




 

南三陸町の市街地があった跡

ここには街があったのですが、津波で破壊され、その瓦礫は片付けられていました。

 

 

南三陸町の震災瓦礫置き場

まだ、集積の途中でしたが、震災瓦礫は山のように積み上げられていました。

  

松原公園に展示されていた機関車も流されています。 

 

 

 

南三陸防災対策庁舎

南三陸町という自治体の名が広く知れ渡る要因となった建物です。

 

南三陸町「震災遺構・復興祈念」

  

建物正面には多くの花束が供えられていました。

 

反対側から見た様子。

3階までの壁が全て抜けてしまっています。

  

海と反対側から見た様子。

手すりや鉄骨がこちら向きに曲がっています。

 

外壁の鉄骨は外側に折れ曲がった状態でぶら下っており、いくつかは地面に落下していました。

非常に危険な状態です。

 

津波は建物の屋上にまで達し。アンテナや手すりにしがみついた人の一部だけが助かったと言われています。 

 

 

防災対策庁舎から海の方角を眺める。

この日の海は静だった。

  




 

南三陸防災対策庁舎付近の八幡川

南三陸町の中心部を流れる八幡川。

水位は高いです。 

 

八幡川の川岸にある手すりは柱のみとなり海と反対側に折れ曲がっていました。

 

 

解体中のスーパーマーケット・サンポート

津波の被害で使えなくなり、解体中のスーパーマーケット。

 

 

公立志津川病院

海の近くにあった志津川病院。

津波が迫る中、病院スタッフは(身元確認のため)自身の腕に名前を書いたと言われています。

写真は病院の部分平家部に残された小型漁船の様子。

  




 

ブライダルパレス高野会館

津波の高さが分かる写真。

比較している車の高さは約2.3m。

これに対して建物の3階軒天井部分まで津波の跡があります。

 

震災伝承施設 ブライダルパレス高野会館

 

なつかしい未来へ・ちばのり店

街の中心に建っていた仮設の”のり店”。

「なつかしい未来へ」という言葉が壁面に飾られていました。

 

 

塩害で枯れた樹木

津波によって海水をかぶった樹木は枯れます。

 

写真は海岸線から八幡川を2kmほど登った場所にあった山林。

海水の影響を受けた部分だけ枯れてしまっています。

 

 

南三陸さんさん商店街

南三陸町の仮設商店街。

現在はかさ上げした場所に移設されて営業しています。

 

南三陸さんさん商店街

 

 

 ボランティアの力は素晴らしいです。
 あと自衛隊!
 今まで全然興味なかったけど本当に助かりました。

 

 海に近かった店舗は流されて土台だけ。
 何も無いんです。
 ほんとキレイさっぱり!

 それでも避難先から店舗にたどり着けたのは震災の3日後。

 
 市街地は酷い状態で行くことが出来なかったんです。

 避難先の体育館は天井が高く寒いので体育館の廊下で寝ました。 
 

 YouTubeなんてぜんぜん知らなかった。

 ボランティアの人たちがすぐに来てくれた。
 わけが分からないまま名前を書いたプラカードを持たされ、ビデオカメラに向かって今必要なものを言いました。

 そうしたらそれがYouTubeに流れていたらしく支援物資がたくさん届きました。
 当時はなぜそれらが届くのか不思議に思いました。
 ボランティアのネットワークはすごい。

  【わたや店主】

 

海鮮を中心とした和食が美味かった「季節料理 志のや」 

季節料理 志のや

現在は旧南三陸さんさん商店街の跡地で営業しています。

近くにお越しの際は是非。

 

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